志澤公一 アメリカ同時多発テロの現場に入った伝説の消防士たち!

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今回は外国人で唯一アメリカ同時多発テロの現場に入ることが許された日本の消防士志澤公一さん。

また志澤公一さんと仲間たちの行動から起きた数々の奇跡を紹介します。

志澤公一に届いた一通のメール

志澤さんは全国の消防士たちとスポーツ大会をきっかけに交友関係がありました。

そしてインディアナポリスで行われた国際大会に出場した時

ニューヨークの消防士ディヴィッドとも親睦を深めたそうです。

2001年9月11日ニューヨークで発生した同時多発テロ

志澤さんはニューヨークのディヴィッドに連絡したが返信はありませんでした。

事件から11日後ディヴィッドから返信が。

連絡をくれたことへの感謝と「助けてくれ」という言葉が。

志澤さんは仲間に連絡し救助に向かうことを決めました。

チームは東京消防庁、大阪市消防局、横浜市消防局、名古屋市消防局、川崎市消防局、堺市消防局、川口市消防局の7消防本部から11名。

最年長の濱弘一さんがリーダーになりました。

当時、志澤さんは奥さんに大反対されたそうです。

「人がいないのが明らかってことがわかっていて『助けて』って言われたら、動かないわけには行かないですよね」

しかし、渡航は業務ではなくボランティアです。

各自休暇を取り自費での渡航となりました。

また国内もテロを警戒する特別警戒態勢をとっており3泊5日という短い日程でした。

こういうニュースを見ると現地へ向かう消防士たちには本当に頭が下がる思いなんですが

見送る家族の覚悟も相当なものだと思います。

一家の大黒柱をそんな危険なところへ送り出す。

無事の帰ってこられる保証はないんです。

家族の覚悟にも頭が下がります

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志澤たちが現場に入れた理由

志澤さんたちは現地につきましたが、ここで問題が。

アメリカ政府が外国人のグランドゼロへの立ち入りを一切禁止したのです。

1つ目の奇跡

ニューヨーク市消防局のミッキー・クロスが声をかけてくれました。

彼は救助活動中にビルが崩壊し、4時間後に奇跡的に救出された消防士だったんです。

彼とともに現地に入ることができました。

しかし救助活動するには許可証が必要とのことでした。

2つ目の奇跡

隊員の心のケアをするために現地にいた牧師が志澤さんたちの熱意に打たれ交渉してくれたのです。

牧師さんは元消防士で現場責任者の元上司でした。

日程の最終日、それも17時から21時という大変短い時間だけの救助活動。

仲間も見つけてあげたいという気持ちで慎重に作業を行ったそうです。

そしてニューヨークをあとにしました。

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トモダチ作戦のきっかけに

この熱い消防士たちの思いと行動が2年後に日本で起こった大災害の助けになったんです。

2011年3月11日記憶にも新しい「東日本大震災」が起こりました。

地震で倒壊した家屋と大津波による被害。

また原子力発電所の爆発事故など東日本は壊滅的なダメージを受けました。

アメリカ合衆国は震災の3日後に2万人の救援チームを日本に送り込んでくれています。

ケネディ元駐日大使は後にこう語っていました。

「アメリカ同時多発テロの時、日本の消防士たちが駆けつけてくれたことが、

トモダチ作戦のきっかけとなりました。」

日米の消防士たちの絆が大震災の中から多くの人の命を救ったんじゃないでしょうか。

これが今回の最も大きな奇跡です。

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まとめ

今回は外国人で唯一アメリカ同時多発テロの現場に入ることが許された

日本の消防士志澤公一さんに付いて紹介しました。

消防士たちの熱い絆に心打たれますね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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