今回は1994年に全米を震撼させた「O・J・シンプソン事件」について調査します。
この事件は刑事裁判では無罪、民事裁判では有罪と判決が別れたことでも注目を集めました。
刑事裁判と民事裁判にどんな差があったのか、なぜ判断が別れたのかについても調査します。
OJシンプソン事件とは
1994年6月13日午前0時10分頃、シンプソンの元妻のニコール・ブラウンとその友人がカリフォルニア州ロサンゼルスのニコールの自宅玄関前で刺され死亡した事件です。
一緒にいた友人は格闘技を習得しており体格や腕力に勝る男性による犯行の線で捜査が進められました。
元夫でNFLのスーパースターO・J・シンプソンが容疑者として上がり6月16日に逮捕されました。
逮捕されるまでの間、派手なカーチェイスが全米で生中継されたためアメリカ国民はテレビに釘付けでした。
OJシンプソン事件2つの裁判の行方
刑事裁判
O・J・シンプソンは第1級殺人罪で刑事裁判を受けることになります。
裁判はニコールの自宅があるロサンゼルスで行われました。
シンプソンは全面無罪を主張し全米で有名な弁護士で編成した「ドリームチーム」を作り裁判に臨みました。
あまりにも検察側と弁護団との力の違いに、のちの書籍で「単独の検察」と「全米選抜の弁護団」と揶揄されています。
弁護費用は当時の日本円で5億円とも言われていて規模の大きさが伺えますね。
12人の陪審員による評議が始まりドリームチームの手腕もあり
翌年10月には「無罪」評決が下りました。
被害者のニコールが白人であり、加害者のシンプソンが黒人であったことから弁護団は「殺人事件」よりも「人種差別」を前面に掲げて争う作戦を取りました。
当時は人種差別が激しく、ロス市警にも多くの人種差別主義の職員がいたそうです。
そこに目をつけた弁護団の作戦で世論を扇動したそうです。
民事裁判
刑事事件では無罪を勝ち取ったシンプソンでしたがまだ民事裁判が残っていました。
ニコールの友人のロナルド・ゴールドマンの父親による民事裁判です。
民事裁判では刑事裁判とは真逆の判決が出ました。
裁判の中で原告側(ゴールドマン)の主張が認められ父親に722万5千ドル、母親に127万5千ドル支払うよう命じられました。
判決が別れた訳は?
なぜ真逆の判決のなったのでしょう。
そこにはアメリカでの民事と刑事の裁判の違いが大きく関係しています。
- 刑事は陪審員の全員一致が原則。意見が割れれば一致するまで話し合う。
- 民事では全員一致は必要とせず70%以上の陪審員の意見が一致すれば決定できる。
- 刑事裁判では合理的に疑問があることを弁護側が示すことができれば無罪。
- 民事裁判では証拠の優越性が問われ、いかに優勢な証拠を示すことができるかが鍵となる。
- 刑事裁判では弁護団の差金により意図的に黒人の陪審員が多く選ばれた。
- 民事裁判が行われたサンタモニカは資産家の白人が多く住んでおり実際の陪審員も白人が多数選ばれた。
また刑事裁判では証言を拒む権利があったが民事裁判では適用されず拒めなかった。
そして証言台にたったシンプソンは「覚えてない」「知らない」といった曖昧な証言ばかりだったため陪審員の心象を悪くしてしまいました。
そして大きな要因の一つとして、刑事裁判でお金を使い過ぎてしまったため「ドリームチーム」と言われていた弁護団を雇うことができなかった。
と言われています。
別の事件で逮捕服役
殺人罪で無罪になったシンプソンでしたが、2007年に拳銃で武装してホテルに強盗に入り逮捕されています。
2008年に33年の懲役刑が言い渡され2017年まで服役していました。
シンプソンは、2024年4月ガンのため76歳で亡くなりました。
家族に看取られたそうです。
まとめ
今回は「O・J・シンプソン事件」について調査しました。
刑事裁判と民事裁判の違いや弁護士委にょって結果が大きく変わる可能性があることにびっくりしました。
やっぱり世の中お金なんですかね。
今回も最後までご覧いただきありがとうございました。