グアム島で起きた大韓航空機墜落事故!奇跡的に助かった日本人少女!

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今回は1997年に起きたグアム島での航空機墜落事故について紹介します。

奇跡的に助かった生存者の中に日本人の11歳の女の子が含まれていました。

何が生死を分けたのか。

グアム島大韓航空801便墜落事故

大韓航空801便墜落事故とは

1997年8月6日、アガニア国際空港へ着陸進入中の大韓航空801便が

滑走路遥か手前の丘に墜落した航空事故です。

乗員、乗客あわせて254人のうち228人が死亡するという痛ましい事故でした。

機長のパク・ヨンチョルは当時42歳。

軍と民間合わせて9,000時間近い飛行経験があるベテランパイロットでした。

他に副操縦士、航空機関士のあわせて3人体制のフライトでした。

今回の事故機ボーイング747については全員が豊富な乗務経験があったそうです。

金浦空港を離陸後、順調にフライトしグアム上空にさしかかります。

管制塔との交信を交わしながら着陸準備に入りました。

着陸許可を受け取った801便でしたが

着陸態勢に入るには高度が低すぎました。

高度が低かった原因についてはクルーの勘違いだったといわれています。

再上昇の操作を行うも間に合わず空港から3マイル(約5キロ)のところにある

ニミッツの丘に衝突、炎上しました。

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難航する救助活動

この事故で更に不幸だったことは救助開始までおおよそ1時間かかっているということです。

事故後の調査では以下のことが指摘されています。

  • 深夜で悪天候下の事故だったこと
  • パイプラインが露出し現場に通じる細い道を塞いでしまったこと
  • 墜落現場が米海軍用地内だったこと
  • 管制官が事故に気付かず通報が遅れたこと
  • 軍と消防の間の意思疎通が十分ではなかったこと

救助された人たちの証言によれば

墜落直後には生存していた人が多数いたみたいです。

救助隊の到着が早ければ何名かは救えた可能性がったのではないでしょうか。

更に、残っていた燃料に引火して火災が起きてしまいました。

この火災により機体の残骸に挟まれて動けない人が犠牲になりました。

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奇跡的に助かった日本人少女

生存者はどこに乗っていた?

助かった26名はどこに乗っていた人なんでしょう。

大韓航空の発表によると

ファーストクラスがある機首部や残っていた尾翼付近

主翼の上の窓側近くに生存者が多かった

これは墜落寸前に機種を上げようとする操作がされており

機体の腹を擦る形で墜落したためだと思われます。

日本人生存者松田利可さん

この中に日本人の幼い少女がいました。

静岡県三島市の松田利可さん(当時11歳)です。

松田さんは、機体の最後尾に近い席に座っていました。

墜落の衝撃で動けませんでしたが隣りにいた母親に助けられ脱出しました。

松田さんの座席のすぐ後方にドアがあり

そこが開放されていたため外に出ることができたんだそうです。

母親も脱出しようとしましたが残骸に挟まれて動けず火災に巻き込まれてしまいました。

自分が挟まれているにも関わらず必死に娘を助ける母親の姿に涙します。

帰国後の会見で松田利可さんはお父さんと取材を受けていました。

見ていてとても辛い会見だったのを思い出します。

松田利可さん、当時11歳ということは現在は38歳。

現在何をしているかの情報はありませんが、是非幸せに暮らしていてほしいです。

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まとめ

今回は1997年に起きたグアム島での航空機墜落事故について紹介しました。

また奇跡的に助かった日本少女松田利可さんについても紹介しました。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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