2020年2月に発生した豪華客船「ダイヤモンドプリンセス号」集団感染。
計712人が感染した未曾有の災害に立ち向かったDMATの近藤久禎医師とは一体どんな人物なのか。
大規模クラスターになったダイヤモンドプリンセス号の集団感染の概要について調査します。
近藤久禎医師の経歴
近藤久禎医師は2024年現在54歳です。
近藤久禎医師は1984年に埼玉医科大学を卒業。
1997年には日本医科大学付属病院高度救命救急センター医局長に就任します。
2004年3月に日本医科大学大学院医学研究科を卒業。
厚生労働省の技官として奉仕します。
川口市立医療センター救命救急センター部長、独立行政法人国立病院機構災害医療センター臨床研究部長を歴任。
2009年4月には、国立病院機構災害医療センター教育研修室長に就任しました。
翌年には厚生労働省DMAT事務局次長を併任します。
日本の災害医療の第一人者で、「日本DMAT」「統括DMAT」「国際緊急援助隊」など災害医療に関する資格を多数取得しています。
近年では2009年に発生したスマトラ地震で緊急援助隊医療チームの副団長として活動。
2011年に発生した東日本大震災では福島県や岩手県でDMAT調整本部活動や被ばく医療調整活動などの現場統括活動を行っています。
2020年に発生した「ダイヤモンドプリンセス号における新型コロナ集団感染」においてもDMATの船内活動の指揮にあたっていました。
現在は国立病院機構本部DMAT事務局次長として災害現場で現地に入り指揮を取る一方で、災害医療の普及のため各地で開催されるシンポジウムで講演を行なっています。
「被災地をゼロ医療にしてはいけない!」
時間をかけた復興よりも迅速な復旧による悲劇の軽減を説いています。
ダイヤモンドプリンセス号集団感染とは
ダイヤモンドプリンセス号集団感染概要
ダイヤモンド・プリンセス号は2020年1月20日に横浜港を出港しました。
1月25日に香港で下船した乗客が新型コロナウイルスに感染してしてしまいます。
2月1日に感染が確認されましたが、当時はまだ未知のウイルスで船内隔離の措置が取られました。
船内での感染ルートは、隔離前のパーティーや食事担当スタッフを介して広がったんではないかと言われています。
この集団感染で乗客と乗員合わせて712人が感染しました。
また、少なくとも14人の方がお亡くなりになっています。
集団感染に対する対応
日本政府の対応で船内医療の現場指揮を執ったのが近藤久禎医師でした。
ダイヤモンドプリンセス号は2月3日に横浜港に入港し、PCR検査が行われました。
乗員乗客全員を濃厚接触者と認定し船内に隔離することを政府として決定しました。
この決定については賛否両論ありました。
当時の隔離期間は14日間。
豪華クルーズ船ということで、高齢者の乗客が多く、狭い船内で体調を崩す方も多かったといいます。
海外からの乗客も多数おり、諸外国からも日本政府の隔離政策には批判が集まりました。
しかし当時は未知のウイルスで詳細もわからない中、慎重な対応になってしまったことは仕方ないという見方が多いですね。
当時の日本政府の方針は感染防止に重きを置いたものでした。
この方針に近藤久禎医師は
「感染拡大防止だけを考えた対応を続けていては、必要な医療を受けることができずに命を落としてしまう人が発生してしまう」
という可能性を危惧していたそうです。
感染拡大防止には接触しないことが一番です。
しかし接触しないということは治療を受けることができないということに繋がります。
現在はコロナウイルスもその概要が広く知られるところとなり感染対策も確立しています。
当時は感染力が強い、毒性も強く致死率も高い、といった内容の情報が出ていたので感染防止に重きを置いた政策も致し方ないのかなとは思ってしまいます。
このダイヤモンドプリンセス号集団感染が、今後の日本における感染症対策の礎になったことは間違い無いですね。
まとめ
今回は2020年に世間を震撼させた「ダイヤモンドプリンセス号集団感染」で現場指揮をとった近藤久禎医師。
ダイヤモンドプリンセス号集団感染で露呈した集団感染に対応する難しさについて調べました。
現場対応に100%の正解はないと思います。
しかし幾多の現場経験からより100点に近い対応ができるよう進歩しているんですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。