今回は2011年に北陸地方を中心とした食中毒事件「焼肉酒屋えびすO−111集団食中毒事件」の謝罪会見で逆ギレ、その後土下座した勘坂康弘社長について調査します。
焼肉酒家えびす集団食中毒事件とは
「焼肉酒家えびす集団食中毒事件」とは2011年4月に富山県・福井県・神奈川県内の異なる焼肉酒家えびすで、ユッケなどの肉を食べた複数の客が食中毒になった事件です。
この事件により181名に食中毒症状が現れ、6歳から70代の男女合わせて5名が死亡しました。
事件は調査の結果腸管出血性大腸菌O-111による食中毒と判明しました。
しかし、正確な感染経路は判明せず責任の所在は不明確なままで事件は終結しています。
勘坂康弘社長
焼肉酒家えびすは、株式会社フーズ・フォーラスが経営していました。
創業者の勘坂康弘はいわゆる脱サラで「焼肉酒家えびす」を創業し、一皿100円の豚バラや同280円の和風ユッケなどの低価格メニューを売りに業績を急拡大させていきました。
大学時代にディスコでバイト、大学卒業後は地元の薬品工業に就職しますが2年で退職しました。
その後上京します。その際に上場会社の外食チェーンに育て上げる事を目指して焼肉チェーン店を起業することを決意したそうです。
地元に戻り派遣社員として働き2年半で起業資金1000万円を貯めたそうです。
決意したとはいえ2年半で1000万円貯めるってすごい事ですよね。
1997年に地元高岡市に焼き肉店、「焼肉酒家えびす」を開店、夢を叶えます。
翌年にはその運営会社「有限会社フーズフォーラス」を設立しました。
まさに順風満帆ですね。
次の目標は『日本一の伝説となるレストランチェーンの実現』とし2010年時の20店舗から2020年には300店舗にしたい。と抱負を語っていました。
集団食中毒事件
しかし、2011年5月に集団食中毒事件を起こします。
経営する焼肉店が供出したユッケなどの肉を食べた多数の客が腸管出血性大腸菌O−111による感染症を起こしました。
事件後すぐに釈明会見を開いたんですが、それがこちらです。
責任転嫁をする発言や声を張り上げての謝罪。これでは逆ギレ会見と言われても仕方ありません。
また、逆ギレしたかと思えば3日後には一転して涙を流しながら土下座して謝罪するという会見を開きました。
世間からも今更なんだ!前回の記者会見で非難を浴びたから土下座してるだけなんだろう。と厳しい反応でした。
メディアもこぞって連日に渡り勘坂氏の逆ギレ会見を放送していました。
事件後と勘坂康弘氏の現在
勘坂氏は嵌められた?
調べていると勘坂氏は嵌められたんじゃないか?という記事を見かけます。
食肉の世界は部落問題であったり韓国問題であったりが複雑に絡んでいるので、急成長する勘坂氏が疎ましく思ったんじゃないかという内容でした。
真偽は確かめようがありませんが、当時、卸業者の責任が大きいのではという方向に捜査が進んでからはメディアに取り上げられる頻度が減ったように思います。
もしそうだとしたら、自分にも落ち度があったとはいえ夢のために並々ならぬ努力をして達成させた勘坂さんが気の毒に思えてきますね。
勘坂康弘氏の現在
焼肉酒家えびす集団食中毒事件後は、勘坂康弘氏の会社は倒産し、自己破産しています。
そして、結婚し子供もいたのですが、離婚されています。
マスコミの取材によると、2014年の時点では運送業界で運転手をしているようです。
「『飲食店でアルバイトしている』という報道もありましたが、飲食関係はやっていない。運送関係の職場でドライバーをしています」
引用:ライブドアニュース
この取材で勘坂さんはもう一度事業したいと答えていましたが、現在のところ勘坂氏が起業したという情報はありませんでした。
まだ50代半ばなので一念発起してニュースに登場するなんてこともあるかもしれませんね。
まとめ
今回は、2011年に北陸地方を中心とした食中毒事件「焼肉酒屋えびすO−111集団食中毒事件」の謝罪会見で逆ギレ、その後土下座した勘坂康弘社長について調査しました。
10年ほど前は運転手をしていたそうです。
現在何をされているかは定かではありませんが、ひょっとしたら何かの事業を立ち上げる準備をしているのかもしれませんね。
最後までご覧いただきありがとうございました。