藤田小女姫のノートには何が書いてあった?殺害事件との関連は?

事故・事件簿
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今回は天才霊感少女として絶大な支持を集めた藤田小女姫さんにまつわる事件を紹介します。

藤田小女姫さんは9歳の時ハワイの狐が憑依し未来を言い当てることができるようになった女性です。

その能力に多くの人が魅了され虜になりました。

藤田小女姫さんが生涯書き留めていた「藤田小女姫ノート」とノートにまつわる事件を考察したいと思います。

藤田小女姫のノートとは?

藤田小女姫ノートとは、藤田小女姫さんが未来に関する予言を書き留めたものだとされています。

社会情勢の変化や自然災害、政治的な出来事など、様々な予言を書き留めていたそうです。

またこのノートには予言のほかに日本の政界、財界の大物たちの決して表には出せないエピソードも描かれていたんだとか。

なぜ藤田小女姫さんはそんなエピソードを知っているんでしょう。

それは政治評論家の細川隆元さんが藤田小女姫の能力に惹かれており、政財界の友人に紹介したことが始まりのようです。

細川さんは著書『隆元のはだか交友録』でこう記しています。

まず初めは内閣総理大臣の岸信介さん。

「細川くん、藤田小女姫に会わせてくれ。そっと会いたい」

「会って、藤田小女姫に『安保条約は通るか通らんか』と岸さんが訊いた。彼女は目をつぶるわけでもないし、いろんな道具を使うわけでもない。(中略)その間、約五分。『断固としておやんなさい。通ります。そのかわりに、通ったあと、あなたの内閣は長く持ちませんよ』と彼女は言った」

その言葉通り安保条約は成立しその3週間後に岸内閣は総辞職しています。

次に細川さんが紹介したのはアメリカ進出を見据え、社名変更を考える野田醤油の社長(当時)茂木啓三郎さんでした。

彼女はひとこと、「キッコーマン」への改名を勧め、3年後には必ず事業の目は出ると短く補足した。

この言葉通り「キッコーマン」に社名を変更し、3年後には結果が出ていたといいます。

そうした噂から、彼女のもとには多くの政治家や財界の大物が訪れ、多岐にわたる占いを行なっていました。

こうして藤田小女姫さんの元に集まった政財界の大物から聞いた話を「藤田小女姫ノート」の中に記していたんだそうです。

表に出せない裏話がたくさんあるのも納得ですよね。

この他にも福田赳夫元総理パナソニックの創業者松下幸之助さん、「裏世界の首領」と言われた国際興業グループ創業者小佐野賢治さんなどが藤田小女姫さんに会って話をしています。

松下幸之助さんに寵愛されていた藤田小女姫さん

藤田小女姫さんは大物にも引けを取らず、当時を知る人には

「藤田小女姫は常識がゼロ。世の中のことをなにも知らない。なんせ彼女にかかれば、岸さんだって松下幸之助さんだって、子どもみたいに扱われていましたよ。死ぬまで、あの人は小学生のままだったな」

そんな天真爛漫なところも大御所に気に入られる一因だったのかもしれませんね。

実は藤田さんがが生前記録していたと言われる「藤田小女姫ノート」は未だに発見されていません

当時の表と裏のボスの様な大物が心を許して話したことについて書かれたノート。

もし表に出てきたら日本がひっくり返ってしまうようなことが書かれていたのかもしれません。

藤田小女姫さんが亡くなってから30年経ちますがノートはこの世には残ってない可能性が高そうですね。

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藤田小女姫殺害事件とは?

藤田小女姫さんは1994年、ある事件に巻き込まれ命を落としてしまいます。

それがハワイで起こった「藤田小女姫殺害事件」です。

第1第2の殺人

事件の概要は、ハワイのホノルルで高層マンションの火災がありました。

火災はボヤで収まったんですが、クローゼットの中から藤田小女姫さんの射殺体が発見されました。

そして同じ日にワイキキにあるホテルの駐車場で車両火災が発生します。

焼けた乗用車の中から発見されたのは当時大学生の藤田小女姫さんの一人息子吾郎さんでした。

テープで縛られ胸を銃で撃ち抜かれていたそうです。

交友関係の捜査で容疑者に上がったのが吾郎さんの友人だった福迫雷太容疑者

事件に使われた物と同じ弾丸や吾郎さんの血痕が福迫さんの部屋から検出されたため身柄を確保されました。

また福迫容疑者が藤田小女姫さんの部屋にあった貴金属類を質屋に持ち込んだこともわかりました。

裁判では遺体の搬送を手伝っただけで殺害には関与していない。

実行犯はヤクザであり、藤田吾郎の父親が日本のビジネスマンの未認知の息子で遺産を相続させないために殺害したと主張していました。

当時は福迫容疑者の苦しい言い訳だと世間も思っていました。

しかし訴えは認められず第2級殺人罪で終身刑が言い渡されています。

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第3の殺人

福迫受刑者は、終身刑と言っても30年服役すれば出所できる可能性がありました。

1994年の事件なので早ければ2024年ごろに出所する可能性があったわけです。

しかし2024年10月、福迫受刑者は収容先のハワラ刑務所で殺害されてしまいます

同じ雑居房にいた受刑者に刺され、頭と首に致命傷を負ったそうです。

59歳でした。

もしかしたら間も無く出所するかもしれないといった時期に殺害されてしまったので日本でも大きなニュースになっていましたね。

陰謀説?

ここで浮上してきたのが陰謀説でした。

いまだに「藤田小女姫ノート」が発見されないこと、福迫受刑者が服役を終える時期に殺害されてしまったこと。

これらが重なり福迫受刑者が裁判で言っていた「ヤクザが殺した」説が妙に信憑性を帯びてきたわけです。

何かと情報を知っている福迫受刑者が出てきたら困る勢力がいたんじゃないかと。

またノートも発見されないことからノートが世に出ると困る大物の手によって消されたんじゃないか。

といった陰謀説が存在するんです。

実際のところは分かりませんが、そう考える人がいてもおかしくないぐらいのタイミングですね。

ただただ偶然が重なっただけなのかもしれません。

皆さんはどう思いますか。

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まとめ

今回は占い師藤田小女姫さんが書き残したノートには何が書いてあったのかについて考えてみました。

藤田小女姫さん自体は日記のようにただお話しした内容を書き留めていただけだったのかもしれません。

無邪気に書いた内容に実は日本がひっくり返るような内容が含まれていたんでしょうか。

また藤田小女姫さんや息子さん、犯行に関わった福迫さんまで犠牲になってしまった事件。

やはりノートと無関係ではにような気がします。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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